不意に思ったこと

久しぶりに小説を読んでいて思ったことがあります。
高校生時分の頃は、図書室にこもって本を読んでいた性質なので、
その頃は本を読むことに抵抗が無かったのですが、
高校卒業後、本をとんと読まなくなってから、
活字を見るのが億劫だなあと思ってました。
活字を読むぐらいならゲームや漫画など、
もっと分かりやすく楽しいものをしようと流れていました。
でも次第にそれらにも興味をなくし次はどうするかなと思っていました。
そんな時に、再び活字を読むようになってその面白さを再認識し感じたことは、
一度、面白くない、嫌だ、面倒だと思っていたことでも
再び足を踏み入れて見ると、結構面白いものだなという事。
この、一度飽きたり嫌になったりするものに対して、
どう行動するかと言うのは結構大事なことかなと最近思うようになりました。



たかだか20数年そこらの人生ですが、
自分自身も含めて回りの人たちを見ていると
「好きだった事が嫌になったときの反応」については
あるパターンに分かれるなあと思いました。
「好きだった事」と言うのは、
「趣味」でも「仕事」でも「人に対して」でも良いのですが、
大雑把に3つに分かれるかなと。

ひとつは
●好きだったものが嫌になったら、好きだったもの自体を嫌になり目をそむけ続けるタイプ
こういう人は、好きだった事自体を忘れて、
徹底的に嫌いと言う気持ちを持ち続けるタイプかなと


二つ目は、
●好きなものを嫌いになったけど、ふとしたきっかけでまた好きになるタイプ
多分、その場その場の気分で動くタイプの人かなと。
嫌なことがあっても、それに関して少し良いことがあれば良いイメージを
持つようなおきらくタイプかなと。


三つめは
●好きなものが嫌いになったら、それのことはすっかり忘れて違う楽しみを見つけるタイプ
・常に自分の良いと思うことを追い求める人で
都合が悪くなったらその事から目をそらし、
違う楽しいことを求めるタイプかなと。


どれも一長一短だけども、
生きる上で個人的にましなのは、
二番目の
「好きなものを嫌いになったけど、ふとしたきっかけでまた好きになるタイプ」
かなと。


気分屋言うのは、結構やっかいなものだけど、
少なくとも、一度止まった物事に対してもう一度進もうとしている点ではましかなと。
未来がある感じがする。
ほかの二つは、どうしても嫌になった時点で先が止まってしまうので
あまり良くは無いかなと。
特に三つ目の
●好きなものが嫌いになったら、それのことはすっかり忘れて違う楽しみを見つけるタイプ
は、一見前向きなように見えるけど、
とどのつまり、好きだった事に嫌なことがあれば
さっさと違うことに目をつけると言う事だし、
その、目をつけた先にも嫌なことがあれば、
また違う新しいものに目を向けてしまいと言ったような、
場あたりてきな考え方にも思える。
勢い任せで困難に立ち向かえないと言う点で将来は困難そうかなあと。
新しいものを追い求めつづけることはよいことだと思うけど、
求めた物からなにも得ずに、
ただ新しいものを得ようとしているのは
いきあたりばったりともとれるしなあ。


どの性質が良いか悪いかなんていうのは分からないが、
人生、少しでも前途が明るいほうが良さそうだよね
なんて思う今日この頃。